2018年

3月

10日

蒲田の駅ビル 土曜日の朝

新しい仕事が始まり、最初の一週間が過ぎました。

まあ、いつものことながら、いや、今回の仕事は特にいろいろと覚えることがあって大変ですが、やっぱり、かなり深いところに自信がついてきたみたいです。みっちりとOJTをしてくれるので、すごく期待してくれているんだなぁとうれしく思いつつも、それってけっこうプレッシャー。

でも、まあ、オイラよりうまくこなせる人材をこの待遇で探そうと思ったら、そう簡単には見つかりませんよ、とはっきりと認識しています。

 

さすが世界屈指の巨大テック企業の本社ともあって、カフェテリアはおしゃれで快適。OJTのあいまには気楽に一休み。苫米地さんのアドバイス「リラックスしているとき、自分のコンフォートゾーンにいるときが一番IQや創造性が高まって、仕事もはかどる」というのを思い出して、のんびりやっています。

 

さて、今日も蒲田の駅ビルに来ています。

もうずいぶんと長いこと、わたしは外見にはさほど注意を払わず、とりあえず無難に、小ぎれいにすることだけ考えていました。新しい仕事が始まるとたいてい、その職場に合わせたような服をいくつか買うのですが、まずユニクロか無印で済ませていました。

 

ありがたいことに、今回の仕事は前回よりもだいたい月に3万ほど多くいただけるので、気持ち的にはだいぶ余裕が出てきました。そこで、東急プラザの6階に「メンズファッション」と表示されていたので、ぶらっと立ち寄ってみました。

TAKAQがあったのですが、わたしのイメージでは高いわりにやぼったいと思っていたのですが、今日じっくり見てみると、値段も手ごろでけっこうおしゃれだなぁと思いました。今回の職場はかなりカジュアルでもオッケーなので、想定していたものとはちがっていたので、今日はなにも買いませんでしたが、そのうち気が向いたらいろいろと買ってもいいなぁと思いました。

 

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2017年

7月

02日

紫陽花(アジサイ)から引き起こされたとりとめのない考察

このあいだ、「そろそろ紫陽花の季節だなぁ」とふと心の中で考えた時、「アジサイって英語でなんて言うんだろう?」と気になったので調べてみました。

 

hydrangea
【名】
    《植物》アジサイ
【発音】haidréin(d)ʒə、【@】ハイドランジア、ハイドレインジャ

【分節】hy・dran・gea

 

そして、昨日むすめと近所を自転車に乗ってブラついていると公園の一角に紫陽花が綺麗に咲き誇っている ーーうーん、紫陽花に限ってはどうも咲き誇っているという表現はそぐわないですね、昨日もときおり小雨が降る、やや陰鬱な土曜日で、でもそれがまた紫陽花にはふさわしく、わたしにはとても魅力的なのですーー 紫陽花という姫君が物憂げに佇(たたず)んでいる(に訂正)のを見つけました。

 

むすめは覚えたての英語を口にするのが今はとにかく楽しいらしく、目についたものを次々に「That is a white car」とか「Those are black birds」(ちなみにその黒い鳥は"Crow"だよと教えてあげました)とか、ひとり確認するかのようにしゃべっています。

 

紫陽花の一角へと通りかかったわたしはむすめにアジサイの英語を教えてあげようと思ったのですが、心にひっかかるところがあって、それをすることができませんでした。

なにが引っかかったんだろうと自分の心のうちを探ってみたところ、どうやら自分のなかで、あの美しい令嬢を「ハイドレインジア」という奇妙な響きの名前で呼ぶことに強い抵抗感を覚えたようなのです。

 

さらに思索はそこから別の花に思い至り、「そういえば、菊はchrysanthemumだったな」と考えたとき、まずそもそも長年英語を学んできたわたしにも発音が難しく、やはりそれを菊と結びつけることに心の奥のほうで拒んでいることが自分でもよく分かりました。

 

そしてこう気がついたのです。

「紫陽花」にしても「菊」にしても、表意文字としての「漢字」のビジュアルイメージと、実物の花のイメージは心の中で深く結びついている。

 

英語(あるいは広く外国語)が苦手は人には、このような心理的な抵抗がたくさん起きているのかもしれませんね。

また、中国をひどく忌み嫌う人は多いですが、そこで発明され発展していった偉大な文明「漢字」にわたしたち日本人がどれほどの恩恵を受けているのかに気がついていないということでしょう。(まあ、もし今回の花の例のように、漢字というものがあまりに深く脳内に染み込んでいて、別の言語を拒むようでは、それは「恩恵」ではなく「不利益」だという主張も成り立つかもしれませんが)

 

「総体、男でも女でも、生かじりの者はそのわずかな知識を残らず人に見せようとするから困るんですよ。三史五経の学問を始終引き出されてはたまりませんよ。女も人間である以上、社会百般のことについてまったくの無知識なものはないわけです。わざわざ学問はしなくても、少し才のある人なら、耳からでも目からでもいろいろなことは覚えられていきます。自然男の知識に近い所へまでいっている女はつい漢字をたくさん書くことになって、女どうしで書く手紙にも半分以上漢字が混じっているのを見ると、いやなことだ、あの人にこの欠点がなければという気がします。書いた当人はそれほどの気で書いたのではなくても、読む時に音が強くて、言葉の舌ざわりがなめらかでなく嫌味になるものです。

源氏物語「帚木」より

 

源氏物語には「雨夜の品定め」と呼ばれる、とても興味深いやり取りがあります。風流才子たちが数名、ちょうど今のような雨の降る季節に集まって、どういう女がいいのかをじっくりと語り合います。上記の引用はその会話の一部です。

個人的には「言葉の舌ざわり」についての記述が面白いです。そのような現代人でもついつい見過ごしてしまう繊細なところまで言及しているところに「源氏物語」の素晴らしさを見るように思われるのです。

さて、現代の「学問」というと、当時のように「中国の古典に通じる」ことではなく、多岐にわたるので、当時と現代を比較することは難しいのですが、たとえば、大学で法学部に通っていて女性を思い浮かべてみると、千年以上経った21世紀の現代でも同じようなことが起きていることが分かります。

もちろん現代では「学歴」が高いことは一般的に賞賛されるべきことで、多くの人々から羨望のまなざして見られます。が、そのような高学歴な女性と継続的な関係を持とうという男性には、会話のはしばしにややこしい法律用語や、その解釈についての小難しい議論を聞かされてしまえば、すっかり興醒めでしょう。

「学問」がかえってアダになってしまうなら、女性にとっての「学歴」というのはいったい何なんだろうか、ということをじっくりと考えてみるべきでしょう。もちろん男性にとっての「学歴」というのもまた、21世紀の現代そしてこれからの未来、やはり考えてみたほうがいいですよね。

 

見苦しくもない娘で、それ相応な自重心を持っていて、手紙を書く時には蘆手のような簡単な文章を上手に書き、墨色のほのかな文字で相手を引きつけて置いて、もっと確かな手紙を書かせたいと男をあせらせて、声が聞かれる程度に接近して行って話そうとしても、息よりも低い声で少ししかものを言わないというようなのが、男の正しい判断を誤らせるのですよ。なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、まじめ一方で、なりふりもかまわないで、額髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいる、ただ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません。理解のある妻に話さないではつまりません。この話を早く聞かせたい、妻の意見も聞いて見たい、こんなことを思っているとそとででも独笑が出ますし、一人で涙ぐまれもします。また自分のことでないことに公憤を起こしまして、自分の心にだけ置いておくことに我慢のできぬような時、けれども自分の妻はこんなことのわかる女でないのだと思うと、横を向いて一人で思い出し笑いをしたり、かわいそうなものだなどと独言を言うようになります。そんな時に何なんですかと突っ慳貪に言って自分の顔を見る細君などはたまらないではありませんか。ただ一概に子供らしくておとなしい妻を持った男はだれでもよく仕込むことに苦心するものです。たよりなくは見えても次第に養成されていく妻に多少の満足を感じるものです。一緒にいる時は可憐さが不足を補って、それでも済むでしょうが、家を離れている時に用事を言ってやりましても何ができましょう。遊戯も風流も主婦としてすることも自発的には何もできない、教えられただけの芸を見せるにすぎないような女に、妻としての信頼を持つことはできません。ですからそんなのもまただめです。平生はしっくりといかぬ夫婦仲で、淡い憎しみも持たれる女で、何かの場合によい妻であることが痛感されるのもあります」
 こんなふうな通な左馬頭にも決定的なことは言えないと見えて、深い歎息をした。

 

「墨色のほのかな文字で相手を惹きつけておいて」というのは、いかにも当時の恋愛の機微を表していて面白いですね。今で言えばさしずめ「LINEのスタンプのチョイスで相手を惹きつけておいて」といったところでしょうか。

この文章は、わたし自身が結婚する前にも一度読みましたし、結婚してすぐのころにも読んだ覚えがあるのですが、結婚8年目、子供が3歳になった今になって読み返してみると、以前よりもはるかに思い当たる点が多いのに驚かされます。

本を読むことで多くのことを学べるのは否定できませんが、やはり自分で体験してみないと結局のところ学べたとは言えない、というのもまた肝に命じておくべきだと痛感しました。

 

 

huluで映画やドラマを見始めたのはいつの頃からだったか?

ずいぶん昔なのではっきりとは思い出せないのですが、たしか中国から帰国して間もない頃なので、おそらく2010年あたりです。そしておぼろげに覚えているのは、お試し期間に「The Practice」という法廷もののドラマを見て、大きく心を動かされ迷わずにhuluの月額費を払って、利用するようになったことです。

またもう一度「The Practice」を見たいと思いつつも、huluにはなくなってしまって、ケチで貧乏なわたしはなすすべもなく月日が流れました。

 

このごろはほんのちょっとおカネに余裕が出てきたので、アマゾンでDVDを購入し、改めてみているところなのですが、そのふたつ目のエピソードでKelli Williams演じるリンジーは、夜遅くボスが最終弁論を練るために一人芝居のようにブツブツ言っているのを見て、「このまま自分も仕事が恋人で、事務所に遅くまで残ってひとりブツブツ言っているのかもしれないと思うと不安なの」とこぼしてしまいます。ボスのボビーはちょうど無実の少女が麻薬売買を補助したとして有罪になりそうな案件が大詰めで、「依頼人のなかには、ごくまれかもしれないけど、彼女のような誠実な人間がいて、自分はそういうひとのためにこの事務所を立ち上げたんだ」というような感動的な言葉で、そのエピソードは終わり、視聴者の多くはそこから勇気を得て、次の日から厳しい社会で戦えるのだと思います。ただ、実際にエピソードが続いていくにつれて、その事務所はタバコ会社に勝訴したり、世間が注目する裁判に勝ち、徐々に有名になっていくのですが、弁護士という職業の悲しい現実として、「依頼人のほとんどは実際になにかしら犯罪を犯していて、その刑罰を少しでも小さくし、ときには無罪放免にすることで高い報酬を得られる」という事実に苦しめられるのです。

 

話は別のドラマに移りまして、

「The Practice」ではリンジーという新人弁護士を演じていたKelli Williamsは、「Lie to me」というドラマで再び脚光を浴びます。「Lie to me」のほうでは、人間の表情を専門とした研究所の副所長という役を演じていて、彼女にはそのような知的な役が似合うようななにかが備わっているのでしょう。あまり詳しくは覚えていませんが、「Lie to me」のなかでは、彼女は離婚します。それが学問を極めたからとか、仕事に打ち込んでいたから結婚生活がうまくいかないだと決めつけるわけではないのですが、そういう相関関係はある程度成り立っているかなぁと思うこともよくあります。

だからといって、女はなにも学ばないで、ただ男の言いなりになっていれば、それでいいという考え方ではもちろん、あまりに虚しいですよね。

なかなかバランスが難しい問題です。

 

近頃は「er(救急救命室)」も見ています。

どういうわけか「er」のほうは、DVDがものすごく安いので貧乏だった頃のわたしでも十分に手の届く存在だったのですが、こちらについては、あまりにも内容が重くて、しかもいつも切迫した状況のなかで患者も医者も喚き散らしている印象が強くて、しっかり直視しなければならない問題を取り上げた素晴らしい作品だとは思いつつも、どうしても立ち向かう勇気が持てなかったために、先送りにしていたものが、どうやら精神的にも余裕が出てきたようで、日々少しずつそれらのエピソードを噛みしめているところです。

 

最初のエピソードでベントン医師が、看護婦長に「ナースたちがコーヒーを飲んでしまうからドクターが飲もうと思ってもいつもコーヒーがなくなってしまうんだ」と不満を伝えると、看護婦長はそっけなく「じゃあ、自分で淹れれば」と答えます。それを聞いたベントン医師はさすがにカチンときて、「おれたちは36時間働いて18時間のオフがあって、つまり週に90時間、年に52週。その報酬が23,739ドル、そしてそこから税金が引かれる。それでもまだコーヒーを淹れなきゃいけないのか?」と食ってかかります。それでもまだ看護婦長はそっけなく「お気の毒」とだけ言って立ち去ります。

シーズン1は1994年から始まったのですが、今よりも多少物価が安かったのを考慮に入れたとしても、あまりに給料が低すぎるし、4週間で360時間勤務なんて... とてもわたしには信じられません。

 

どうしてこれほど過酷な生活を彼らは続けていくことができるのだろうかと、ずっと考えながら見ているのですが、どうやらここでもやはり「世の中には困っている人がいるのだから、自分がなんとか力になりたい」という思いが強く、またその使命感の強い人間同士が競い合いながら、もがき苦しみながらも高いモチベーションを保っているのだと、今のところ解釈しています。

ネイビー・シールズというアメリカのエリート部隊のドキュメンタリーを見たのですが、そのなかで隊員たちの離婚率はものすごく高いという話を聞いて、わたしはとても胸を炒めました。映画「Navy Seals Team Six」でも、リーダーの奥さんがかなりマイってしまっていて、なるほどこうして結婚生活が壊れていくのかと具体例を見れました。

また、「ハート・ロッカー」という映画では、爆弾処理に優れた兵士が主人公で、イラクでのすさまじい任務が描かれ、せっかく任期を終えて帰国しても、平穏な生活に耐え切れず、自分の技能を活かしたいという欲求もあるのだと思うのですが、彼はふたたび戦場へと戻っていきます。
映画の冒頭でもこのような言葉が紹介されるのがとても印象的です。

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2017年

5月

27日

むすめ、3歳1ヶ月、目覚ましい成長ぶり

うちのむすめは、なにかと他の子より成長が遅い方で、歩くのも遅かったですし、話し始めるのもかなり遅いですし、いまだに髪の毛がそれほど濃くならなくて、女の子としては、ちょっと残念な成長ぶりです。。。(ちなみに、近所のほぼ同じ時に生まれた男の子は、生後半年で髪の毛がボーボーで、もはや完成形でした。比べてもしかたがないし、比べるべきじゃないんですが、ついつい比べてしまうのが人間の浅ましさ。。。)

 

しかし今日は、ささやかながら、わたしたち夫婦にとっては、非常に大きな喜びを感じられた土曜日でした。

駅ビルにむすめと遊びに行く途中、立ち並ぶ木々を見て、むすめは「How many trees are there?」と自分で質問して、自分で数え始めました。しっかりと複数形の使い方をみずからマスターしてくれたのです!

明らかに10本以上あったのですが「10(ten)」まで数えて彼女は満足していました。

ちなみにマウス(mouse)の複数形(mice)には、まだ慣れていないようで、ちょっと混乱しています。。。

また夕方、妻と別の公園で、小さなカニさんを捕まえたのですが、「Dont be scared, little crabby(カニさん、怖がらないでね)」と話しかけていたそうです。

例えば、Dogを親しみを込めて呼ぶ場合には、doggy。同じようにfrog(カエルさん)ならfroggy。crab(カニさん)ならcrabby。たしかに単純な法則かもしれませんが、わたしたち夫婦はなにも教えていないのに、むすめはそれをみずから体得したのです。

さらに、カニさんが怖がっているのを、とても心配している様子だったそうで、これはあくまで妻の視点ですが、思いやりの心が芽生えてきているように見えたそうです。

1歳2歳の頃、よく近所のおばちゃんたちから、今が一番可愛いわねぇという言葉をかけられました。そのたびにわたしは内心、ぜったいにこれからもっと可愛くなるはずだと思っていました。

その予測に間違いはなく、そしてこれからも、むすめはもっともっと可愛くなると確信しています。

 

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2017年

4月

29日

幼児の外国語習得について

まだ妻が妊娠していたころに、「子育ての大誤解」という本を読みました。学術的な記述が多いので、あまりオススメの本ではないのですが、内容としてはとても刺激的で、目からウロコの著作です。

そのなかに、こんな例が出ていました。

 

あるロシア人夫婦がアメリカに移住してきました。

その夫婦は英語はほとんどしゃべれないので、家の中ではロシア語だけです。(推測するに、そのように現地の言葉がしゃべれない場合、肉体労働しか残っていないので、おそらくこの夫婦は朝から晩まで仕事に明け暮れていて、子どもとの時間はかなり少ないでしょう)

しかし、彼らの子供が4,5歳になるころには、その地域特有のなまりや言い回しをしっかりと身につけて、近所のアメリカ人の子どもたちと同じように、完璧なネイティブな英語を話すのだそうです。

 

その本には、わたしたちのいろいろな「大誤解」が紹介されているのですが、そのなかでもとくにわたしにとって驚きだったのが、子供は親から言語を学んでいるわけではなく、同じくらいの年齢の子供や少し年上の子どもたちと話すことによって、複雑なコミュニケーションができるようになる、ということです。(もちろん、1,2歳のころの簡単なやりとり、たとえばお腹が空いたとか、おしっこしたいとか、は親とのやり取りですが)

 

このことが頭にあったので、うちの子供は外国語を習得できるだろうかと不安がありました。ご存知のように、東京ではなかなか外国語を話す子どもと継続的に遊ぶ機会を作るというのはとても難しいことだからです。

 

しかし、このあいだ3歳になった娘を見ると、わたしの心配はまったく無用だったようです。

先日も、日本語にするなら「パパ、遊んで、遊んで」とせがむのを、「Come on Daddy, play play」と言ってきました。

 

わたしは長年英語を勉強してきているので、子供に教えられないことはないのですが、大人になってから習得したので、子供にどう話しかけたらいいのか困ることが多いです。しかし、どこで覚えたのか、しっかりと子供らしい英語を身につけて、わたしにそれを使ってくるではないですか!

みなさんにこの感覚が伝わるか、心もとないのですが、長年英語を学んできたわたしにとっても、これはなんとも不思議な経験だったのです。いったい、この子はどうやって、それを身につけたのか?という気持ちです。

 

どうしても感覚的に、素直に入ってこないのですが、やはり「子育ての大誤解」に書かれていたように、言語は親から習得するわけではないというのは間違いなく真実でした。

おそらく、動画やアニメの中の子どもたちを自分の友達だと認識して、そのバーチャルな子どもたちとのやり取りのなかで、自然と英語が上達していったと考えています。

 

下の動画は最近撮影したのものですが、「I catch you, little birdy」と言っています。とても子供らしい素直な表現だと思いました。わたしの脳内にはこの表現はまったく存在していないので、教えることはできないのです。

 

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2017年

2月

20日

久しぶりに地デジを見ました。 意外と良い情報が提供されていました。

このごろはすっかりYoutubeやHuluばかりで、ぜんぜん「地デジ」を見なくなっていました。ネット上にはたくさんの優れた動画が無料もしくはかなりの低料金で、好きなときに、それほどコマーシャルにわずらわされずに見れるので、これはこれでとても良いことだと思っています。が、さすがにちょっと「好き嫌い」が偏ってしまうかなぁと危惧するようになりました。(自分の好みのものだけを見てしまう危険性がある)

 

まずは民放でニュースや天気予報を見ていたのですが、やはりコマーシャルが多すぎて、イライラし始めました。それでも、我慢しながらチャンネルを回していると、あっちでもこっちでも「天気予報」。。。

 

でも、このごろは「自分の好き嫌い」だけではなく、ひろく一般の人々の関心にも、興味を持たなければならない、という意識がかなり高まってきたようで、なにかとネット上では批判の多いNHKにチェンネルを合わせました。

すると、児童相談所に弁護士が常駐するようになって、大きく行政の仕事が改善された、という特集でした。

 

虐待などが明らかになり、役所の人が子供を保護しようとしても、親が抵抗して、子供を保護させないようにしたり、トラブルが多いそうなのですが、そういう場合に、弁護士がはっきりと「これは法的な手続きなのです!」と言い切ってくれることで職員の精神的な負担などが大きく軽減されたそうです。

いくつか実例のビデオも紹介され、親がヒステリックに強硬な態度で職員に罵声を浴びせているシーンも流れ、かなり緊迫した現場の空気が感じられました。

 

また、児童相談所の所長さんのインタビューでは、現在の状況について、「まるで上流でダムが決壊しているのに、ひしゃくかバケツでせっせと水を掻き出そうとしているようなもの。もっと根本的な改善が必要」という言葉があり、虐待や非行というのは、この平和な日本社会でさえも、それほどまでにヒドいのかと驚き、胸が痛くなりました。

 

次のコーナーでは、「息子がゲームの誘惑に勝てないのだが、どうしたらよいでしょうか?」という視聴者からの質問があり、若い医師が「ゲームをやるか、やらないかは勉強には関係がない、という研究結果がある」、また「勉強をするかどうかは、親がとなりで一緒に勉強するかどうかが大きく影響する」と言っていて、わたしの持論を裏付けてくれたので、とても嬉しかったです。

 

とはいえ、こういう情報が多少提供されたと言っても、なかなか、大人に染み付いてしまったイメージは拭えないと思うので、まずは我が家が良い実例として、「子供が進んで学習する」ようになる家庭を作っていきたいと思っています。

 

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2017年

2月

17日

美佳、もうすぐ3歳 上野動物園に行く

今日は天気予報通りに、2月とは思えないほど暖かい陽気。

 

家族で上野動物園に行くことにしました。

12時頃に電車に乗ったのですが、京浜東北線はやや混雑気味。美佳は少しグズってしまいましたが、まあ、すごく迷惑というほどではなかったので、一安心。

 

妻は、もうおとなしく電車に乗れるようになったと言っていたのですが、わたしとしてはまだ、もうちょっと、という感じです。空いてるならいいんですけどねぇ。。。

 

1歳半くらいの頃にも一度、上野動物園に行ってみたのですが、あの頃はまだ動物というのをほとんど認識できていないようでした。今回は、ちゃんと認識できていましたし、ホンモノを見て、とても興奮しているだったので、わたしは娘の成長を見て取れて嬉しく思いました。

 

動物たちにしてみれば、人間が入れ代わり立ち代わり、自分たちの周りにやってきて、興奮して騒いでいるのは、けっこうストレスなんでしょうね。たいていの動物は檻の中の、奥の方にいて、遠くてよく見えなかったり、じっとしていて、いるんだかいないんだか、よく分からないのもいて。。。

 

平日でも、かなりの来客があり、檻の周りには、たくさんの人が群がっていて、自分の子どもと動物をうまく構図に収めるのは、ほぼ不可能でしたが、なんとかできる範囲でトライしてみました。

 

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2017年

2月

04日

一眼レフカメラ、買いました

アマゾンで、中古のPentaxを3万円ちょっとで購入しました。

 

 

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2016年

10月

15日

学校は創造性を殺してしまうのか?

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2016年

3月

13日

続・教育について思うこと

前回に引き続き、同じテーマについて思いつくことをそこはかとなく書きつくろうと思います。

 

先月までの状況としては、うちのママは、「Brain Wars」というスマホゲームで脳を鍛えることにハマっていました。これは少し意外なことだったのですが、というのも、うちのママはとてもおっとりしていて、けっして競争心が強いようには見えないのですが、「Brain Wars」というオンライン対戦型ゲームは、世界中の人々と脳力を競い合うことができ、それが楽しいのだとか。

 

どういう会話の流れだったか忘れてしまいましたが、彼女に「囲碁」をやってみるように勧めました。そこで、わたしがここのところしばらくやり続けていた「Go Free」というコンピュータとの対戦ゲームをインストールして、簡単にやり方を説明したところ、思いのほか気に入ったようでした。

「囲碁」をやったことがある人なら分かると思うのですが、ルールはものすごくシンプルなようで、それがかえってゲームの面白みをつかむのを妨げてしまうとでも言いますか、これは何が面白いんだろう?という反応が起こっても不思議ではないところがあります。

 

 

 分析の能力は数学の研究によって、おそらく大いに活躍させられるだろう。ことに、その最高の部門であって、ただ逆行的なやり方をするというだけで、不当にも、とくに解析学と呼ばれているものによってだ。しかし、計算することはもともと分析することではない。たとえば、将棋をさす人は、計算はするが、分析しようとはしない。だから、チェス遊びが心的性質に与える効果などは、ひどい誤解だということになる。私はいま、なにも論文を書いているのではない。ただ、たいへん勝手なことを述べて、いささか風変りな物語の序文にしようとしているだけである。ここでついでに、手が込んでいるわりにつまらないチェスなどよりは、地味な碁(ドラフツ)のほうが、もっと確実にもっと有効に、思索的知性の高い力を働かせるものだと、断言しよう。チェスは、駒がいろいろと奇妙な動き方をするし、その価値もさまざまで、しかも変るものだから、ただ単に複雑だというだけで(よくある誤謬だが)、なにか深奥なもののように誤られる。この場合、注意力こそ強く要求されるのだ。ちょっとでも注意がゆるむと、しくじって、大損するか負けになる。しかも駒の動きがまちまちで入り組んでいるために、しくじりのチャンスはますます大きくなる。そして、十中の九までは鋭敏な人よりも、集中力の強い人のほうが勝つ。その反対にドラフツでは、動きが一様で変化が少なく、しくじる率も少ないし、わりあいに注意力も働かされずにすむので、利益はすべて、どちらかの優れて明敏なほうが得ることになる。もっと具体的に言えば――ドラフツのゲームで、駒が盤面にキング四つだけとなった場合を想像してみよう。もうこうなれば、無論しくじりの起るはずはない。するとこの場合の勝負は(両方の競技者がまったく互角として)、知力を強く働かせた結果としての、念入りな駒の動かし方だけで決ることは明らかである。普通の手がみな尽きてしまうと、分析家は相手の心のなかに自身を投げこみ、すっかり相手の心になりきって、相手を誘ってしくじらせたり、せきたてて誤算させたりする唯一の方法(ときには実にばかばかしいほど簡単な手なのだが)を、一目で発見することがよくある。

エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人事件」より

 

 

シャーロック・ホームズのファンは世界中におそらく、ものすごい数が存在すると思います。彼らは「シャーロッキアン」とか「ホームジアン」と呼ばれ、なかには恐ろしく熱狂的な人もいると聞いたことがあります。が、ポーの描くオーギュスト・デュパンに比べると、ホームズというのはいわば「チェス」のような存在で、ポーの言葉を借りるならば「手が込んでいてつまらない」と、わたしには感じられるのです。いや失礼、さすがに「つまらない」とまでは感じていないです。ただ、囲碁と比べた場合に、たしかにポーが指摘するように余計な要素が入り込みすぎるように感じられます。

 

その点、「囲碁」の場合、ポーが語っている「ドラフツ」というのは具体的にどういうゲームなのかはさっぱり分かりませんが、「動きが一様で変化が少なく、しくじる率も少ないし、わりあいに注意力も働かされずにすむので、利益はすべて、どちらかの優れて明敏なほうが得ることになる」という点で、純粋に「脳力」を競っているように、わたしには感じられるのです。

 

うちのママがこのように奥深い「囲碁」に興味を示すとは意外でした。しかも、驚いたことに、彼女は自分でオンライン対戦型のゲームを見つけてきて、バーチャルな世界でほかの人間と対戦を始め、すっかりハマってしまったのだから、世の中分からないものです。

 

 

先々週の週末は、風邪を引いてしまい、久しぶりにかなりマイってしまったのですが、今週はすっかり快調になったので、MOOCでいろいろと学習しました。

 

ひとつは、Udacityで「Git」の使い方についてのコースを進めました。内容はちょっとマニアックなので省略します。

また、Courseraで「Build Your First Android App (Project-Centered Course)」も少々やってみました。

 

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2016年

2月

07日

教育について思うこと

Youtubeを見ていると、ちょくちょく「ゆとり世代」に関連したものを見かける。

 

「ゆとり教育」の是非や功罪について考察していけば、たしかにいろいろと興味深いことや問題点などを指摘することもできると思う。

 

ただ、究極的に思うことは、「教育」ってやっぱり両親が重要なのであって、公共教育にケチをつけようということ自体がそもそも、それじゃあダメだよってことなんじゃないだろうか。わたしはそう思う。

 

まず第一に両親、そしてそれを理解し支える祖父母や親戚、そしてご近所さんなどと続いて、小学校や中学校というのは、もうそれまでに固まってしまった範囲でやっていくしかなく、ホンマでっかTVを見ていても、よく澤口先生が言っているように6歳までの遊びが重要。

 

「両親」が重要なんて、そんなことは重々承知なんですよ、とお叱りを受けそうだが、どうかこれから述べることを落ち着いて考えていただきたい。

子供の発育には両親が重要で、そして、「6歳までの遊び」が重要ということは、パパやママがどれだけたくさんの時間、たくさんの種類の遊びを子供とともにできたか、ということ。両親がどうしても時間が取れないということであれば、近所のお兄さんお姉さん、親戚や友人と連携して、どれだけ「質の高い遊び」を子供に提供する努力をしたか、ということ。

けっして、いっしょに漢字の書き取りやら算数のドリルをやれたか、ということではない。

 

ここで問題になってくるのは、「両親」というのは、まずその日その日の生計を立てることに精一杯であったり、いくらか余裕があると今度は将来の学費などがどんどん心配になってきてしまい、遊んでいる場合ではないというプレッシャーに襲われてしまうことだ。

 

「6歳までの遊びが重要」ということの意味をしっかりと噛み締める間もなくどんどん時間が過ぎ去ってしまう。これを解決するにはどうしたらいいのか分からない。

 

あくまで我が家の近況について書いていこうと思う。

うちのママは、先月からスマホとタブレットを交互に使いながら「Brain Wars」というゲームをやりまくっている。少しずつレベルが上がっていて、しかも、世界中の人々と対戦できるのがとても楽しいそうだ。

 

今日、公園で小学2年生の男の子と会ったので、そのゲームをやらせてみたところ、彼らもものすごくハマっていたよ、とわたしに教えてくれた。うちのママはかなり「子供のころの遊びが重要」ということを理解してきていると思う。

 

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2015年

10月

25日

1歳半の認識力

このごろ、積み木を高く積んだり、その積み木の色をはっきりと認識できるようになったことが確認されました。


実は、積み木の色を認識できるかを、1年ほど前からずっと観察してきたので、たかがそれしきのことが、わたしにとっては大きな感動なのです。


では、なぜそんなにしつこく「たかがそれしきのこと」を観察しつづけてきたのでしょうか。


アベセダリンの動画(ホーム参照)でも、触れていますが、その子の能力を見極めて、それよりほんのちょっと上のことをさせると、子供はもっとうまくなりたいと思い、どんどん挑戦を続けていきます。この積み重ねがその子の人生に大きな影響を与えると考えているため、わたしたち夫婦はそのようなささいなことにも目を配っているのです。



また、ここ半年ほどは、妻が自発的かつ継続的に、なにかを習得できるようになる、という取り組みをしてきました。画像や動画の編集、または編み物やミシンなどを順調にこなしてきています。

ちなみに、このような取り組みは、もし三歳以下のお子さんをお持ちのママたちには、必ずしもオススメではありません。それがストレスになってお子さんのケアや観察がおろそかになってしまっては元も子もないわけですから。

うちはたまたま女の子で、子育てにいくらか余裕があるので、その範囲で進めています。


目下の挑戦は、ミシンでカーディガンを作ったので、こないだそれを着せて、近所の公園でいろいろと写真を撮ってきました。それをいい感じに編集し、ウェブサイト上にスライドショートして公開しようとしています。


先ほども申し上げたように、余裕のある範囲で進めているため、習得はとても遅いです。しかし、あせらずに継続することが肝要だと考えているので、落ち着いて取り組んでいくつもりです。

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2015年

9月

22日

もうすぐ一歳半

アベセダリアンのビデオでも語られているように、たしかに15ヶ月くらいまではいくら刺激を与えても、これといった効果が見られませんでした。

ついつい億劫になってブログの更新がほとんどできませんでしたが、18ヶ月に近づいてきたこの頃、いよいよ変化が見えてきました。


脳がどれくらい、ほかの子に比べて、より良く発達したかは、個人では調べることはできないので、はっきりとしたデータは出せませんが、Youtubeなどの動画を見せ続けることには、効果があることが分かってきました。


我が家では下に紹介しているような動画を毎日、繰り返し見せています。娘もとても気に入っているようで、しばしば食い入るように見ています。


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2015年

5月

07日

問題解決能力、いや、問題解決を楽しめる能力

わたしの妻のウェブサイトにも記載されているように、うちの子供には、将来どんどんいろんな分野にチャレンジして行ってもらいたいと願い、また、そのための能力を身につけられるように日々、わたしたち夫婦は頭をひねっています。

 

結婚当初は、こまごましたことで妻とは意見の対立があったのですが、数年経つうちに、次第に対立が減ってきました。まあ、家庭が平和になるので、ひそかにわたしは喜んでいたのですが、ある時、それは大きな問題だということに気がつきました。

 

大連で知り合った友人がたまたま日本に戻ってきたので、彼の実家、群馬県にちょっとした旅行に行くことになりました。しかし、なんと驚いたことに、妻は自分のケータイを持ってこなかったのです。なんで持ってこなかったのかと聞いてみると、「旅行中、ずっと一緒にいれば、ケータイで連絡を取り合う必要もないと思った」と言うのです。

 

しかし、旅行というのは常に多くの選択肢の中から、その日の天気や気分によって、決断をくだしていく瞬間の連続なのです。しかし、妻はその決断をすべてわたしに委ねてしまっていたのです。

 

意見の対立はないので、一見平和ですが、これは子供ができてから、大きな問題になるように思われてなりませんでした。

そこで、彼女をひとりで短期留学へ行かせてみようと思いました。

わたし自身、オーストラリアでのワーホリ&留学のあと、大きな成長があったからなのですが、しかし、これは大きな間違いでした。

 

いくらか予算には余裕があったので、1ヶ月間、クアラルンプールの学校で英語を勉強した後は、自分なりにプランを立てて、マレーシアやその近隣を冒険するように伝えていたのですが、学校でのコース終了後、彼女はすぐに日本に戻ってきました。

 

それは、地元の女性達からこんな助言があったからなのですが。

「安いユースホステルなどに泊まっていると、顔に酸をかけられることがあったりして、とても危険だ」と。

 

うーん、わたしは非常に困惑してしまいました。

地元のマレーシアの住人と交流しつつ、おすすめの観光スポットなどを教えてもらい、冒険のプランを練ってもらうはずが、むしろ、地元の女性達が、どこかで聞いた情報をむだに誇張して、妻を日本へ返してしまったではないですか!

 

わたし自身が旅行や留学のプランを立てることによっていろいろと成長したと感じていたのも、そもそもの前提として、自分には新しいことに挑戦したり、初めて行くところを見てみたいという強い願望があってこそ、成長できたわけなのですが、妻にはその前提の段階で、わたしとはちがっていました。これがまず大きな誤算です。

 

また、すごくおおざっぱに言って、女性には「冒険願望」はあまりなく、とくに途上国ほど、保守的な傾向があるように見受けられます。その点、わたしの妻もそもそも中国の僻地育ちですし、マレーシアの女性達と交流させても、冒険的気質はさらにそがれてしまいます。

 

彼女が帰国してからしばらくして、わたしは彼女に伝えました。記憶が定かではありませんが、マレーシアに行く前にも伝えてはいたと思いますが、さらに念を押して、「なにかを決断する時に、すべては夫に任せきりにしていては、到底、子育てはうまくいかない」「とくに女の子が生まれたら、そんなママから、誤った習性を学んでしまう恐れが強い」などの危惧を伝えました。

 

ようやく妻も、わたしの気持ちを少しずつ理解してくれて、プラモデルを作ってみたりしながら、「自分で考える」習慣を取り戻す努力を始めてくれました。ここでわたしが「取り戻す」という語を用いたのは、中国で彼女と知り合った頃は、まるで彼女は違っていて、歩くのもわたしよりも早く、いつもわたしが「もっとゆっくり歩いて」と頼むほど、活発にきびきび行動していたからです。日本語学校と英語学校をかけもちし、将来は自分でビジネスをやりたいという願望も持っていたくらいです。

 

3月ごろ(今から2ヶ月ほど前、マレーシア留学から2年ほど経った頃)、時間とお金に余裕があったので、どこか旅行にでも行こうかという話しになりました。このときは、彼女はネット上にある口コミ情報を頼りにいろいろと計画を練ってくれて、わたしは彼女の成長ぶりに驚き、とても安心しました。

もうあまりに満足してしまい、結局、旅行の計画自体をやめてしまったくらいです。

 

妻はデアゴスティーニの「ロビ」を作り始めて、ずいぶん経ちます。そろそろ完成が近づいてきました。そんな中、バッテリーに不具合が出てしまい、組み立てがうまく進みませんでした。そもそもバッテリーに不具合があると突き止めるまでにも、かなり分解と組み立てを繰り返してていました。

わたしはメカに強い方なのですが、それでも、かなり長い工程を彼女が自分で進めてきたものを、途中から首を突っ込んでも、問題の解決のヒントさえ与えられません。わたしはただ、黙って見守るしかありませんでした。

 

今日、ようやく、解決方法を見つけたらしく、さまざまなテストをクリアしていました。まだ完成までは気が抜けませんが、わたしはまたしても安心させられました。

万一、最終的に完全な状態で完成できなくても、ここまで彼女が頑張れたこと、そして成長できたことに、わたしはもう十分満足です。

 

 

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2015年

5月

02日

お父さんの新たな冒険

「Python(パイソン)」というプログラミング言語は、習得が容易で、さまざまなライブラリーが充実しているということなので、ちょっと図書館で調べてみた。


或る参考書には、ロボット工学のライブラリーがあるから、Pythonを使っているという研究者の言葉が載っていた。なるほどー、ロボット工学かぁ、難しそうだけどちょっと覗いてみたいなぁと思った。


図書館ホームページの書籍検索を見てみると、「機械学習」という分野もヒットがあった。先ほどの「ロボット工学」のイメージが残っていたわたしには「機械学習」というのは、ロボットの人工知能のことかと思っていたが、実際に「入門 機械学習 ーMachine Learning For Hackers」を読んでみると、どうやらおおざっぱに言うとコンピュータを使った統計のことらしく、意外だった。「機械学習」という語から得られるイメージとは少しちがうなぁ、と思いつつも、わたしが思いのほか統計に興味をそそられたのには、自分でも驚いた。


「ビッグデータ」という語は、テクノロジー系のサイトではちょくちょく見かけるのだが、それがなんとなく分かっただけでも面白かった。


さらに先に進んでみようと思った私は今日、図書館から「Excel 統計入門」を借りてきた。ざっと目次を読んだだけでも、なかなか面白そうだ。

「入門 機械学習」のほうもまだ最初の部分しか読めていないが、今のところ印象的だったのは、人間はちょっとした偶然をパターンだと認識してしまって、判断を誤ることがあるが、確証的アプローチによって、それを防ぐことができると書かれていたことだ。


平均値と最頻値、パーセンタイルと中央値、標準偏差と分散、などなどなんとなく分かるような、でも、詳しいことは分からないこれらの語をもっと掘り下げてみたいと思った。

また、ヒストグラム、カーネル密度推定、散布図などの基礎的な手法は、著者は一般の人々から正当な評価を得られていないと考えているそうだが、実は、これらは使い方によってはかなり有用なツールなのだとか。わたしは大きなインスピレーションをもらった。


わたしは不思議と若い頃から、なにか一方にかたよりすぎるのが嫌いで、今日もその性向が現れた。新しいテクノロジー分野である「ビッグデータ」や「Machine Learning」という世界にかたよりつつあったのをバランスをとろうとしているのか、わたしは井原西鶴「世間胸算用」も借りた。元禄時代の暮らしが垣間見られて、これもまたありがたいと思った。


そしてもう一冊、デイヴィッド・ボダニス「エレクトリックな科学革命 ーElectric Universe:How Electricity Switched On The Modern World」も借りてきた。

これは以前、一気に読んでしまった本。わたしは前述のとおり、一つの方向にかたより始めるとたいてい逆の方向へ戻ろうとするので、なかなか本を読み終えるということがないのだが、そんな中でも珍しい一冊。

わたしは今、プログラミングや早期教育などの分野で、新しい地平線を切り開こうとしている。なんだか大げさな表現でちょっとこっぱずかしくもあるが、どう冷静に考えても、これはまちがいのない事実だと言うことが、最近になって自分自身、よく分かってきた。

「エレクトリックな科学革命」には、さまざまな先駆者たちーなかにはほんとに変わった人や、あまり尊敬に値しない人もいるがーが登場する。今のところ、悲しいことにわたしの挑戦には仲間がいない。妻はかなり理解してくれているが、それ以外の友人に理解者がいない。

19世紀20世紀に「電気」に関連した発明家や実業家には、わたしも大いに共鳴できるところもあるし、勇気をもらえるところもある。


過去からインスピレーションをいただき、それを未来へとつなげていければ幸いだ。


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2015年

5月

02日

目に見える反応にばかり囚われないでください

わたしと妻は、このサイトで紹介しているさまざまな外国語を赤ちゃんに聞かせる手法で、脳の活性化を狙っています。妻が児童館などで知り合ったママたちにその手法を紹介しても、ほとんどの場合、実際にそれを取り入れて実践してみるママは少ないです。


数少ない実際に実行に移したママたちの中でも、たいていは「ディズニー」の英語のCDかDVDを買ってきて聞かせてみたというのがほとんどです。もちろん、これはけっして悪い方法ではないのですが、その後日譚を妻から聞いたところ、一人のママは1ヶ月ほどで飽きてしまってやめてしまったそうです。


ここで一番の障害になっていることは実はとてもシンプルです。

それは、大人たちが「赤ちゃんに難しいもの(たとえばニュース番組など)を聞かせても、分からないし、つまらないだろう」という思い込みです。


小学校の低学年の頃、わたしにはイダ君という仲のいい友達がいました。

彼は今でもよく覚えているのですが、非常にボキャブラリーが豊富で、言葉に独特のリズムがある子でした。わたしが物心ついてはじめて、彼には負けているという悔しさを味わい、彼のように話せるようになりたいと羨望の念を抱いた相手でした。


彼のお母さんがある時、笑い話として、1歳か2歳の時から、ニュースにじっと見入っていたと教えてくれました。また、彼のお父さんも非常に趣味が良く、わたしたち学校の友達も車に載せて、工作ができる公園に連れて行ってくれたりしました。たくさんの思い出がある中でも、彼のお父さんはレーザーディスクのコレクションがたくさんあり、わたしたちにチャップリンの映画をよく見せてくれました。


子供心としては、単純にチャップリンのコミカルな動きがおかしくて、笑い転げていただけですが、英語に触れることもでき、とてもすばらしい活動です。

また、最近はHuluでチャップリンの作品がいくつも公開されているので、久しぶりに見てみたのですが、実は非常に内容が深くて、クラシカル映画の教養としてもすばらしいものがあります。


別の例も紹介いたしましょう。

以前、わたしが家電量販店で週末販売応援に入っていたときのことです。

失礼な話しかも知れませんが、家電量販店の社員さんといえば、教養に乏しく、朝から晩まで、単純な作業に追われている、肉体労働者だと言っても、多くの人には反論はないでしょう。

しかし、カトウさんという社員さんは独特の余裕があって、メーカーのヘルパーだったわたしにもとても協力的で、ある時、高校生になる息子さんのことを話してくれました。

カトウさんは映画が好きらしく、子供が小さい頃からよく一緒に見ていたそうなのですが、ほかの子たちがピカチューなどに夢中になっているときに、もうすでに彼の息子はロード・オブ・リングなどの大人向けの映画を好んでいたそうで、いつもまわりの友達が子供じみていてイヤだとぼやいていたそうです。


見たところカトウさんも、ほかの社員さんと同様、あまり学がありそうな雰囲気ではないのですが、趣味が子供の発育を助けた重要な一例として、わたしは彼の話をありがたく拝聴しました。


アンパンマンやピカチューなど、そして、もちろんディズニーというのは、子供を直感的に惹きつける魅力があり、それを見せておけば、子供たちはいかにも幸せそうで、親もうれしくなるのでしょうが、そこにあるボキャブラリーは非常に限られていて、ストーリーも単純です。

家事などで手が離せないときなどの切り札として、そのようなビデオを持っておくのは便利なツールとして役に立ちますが、子供が喜んでいるからといって、そのようなものばかりを見せて、お金と時間を無駄にするのは得策ではありません。


今わたしがオススメできるのは、やはりHuluが月額も安くて、非常に豊富な作品を見ることができるので、一番のおすすめですね。

ほとんどのドラマや映画は字幕なので、大人はそれを見ながら内容を楽しむことができて、子供は自然と英語やその他の外国語に触れることができます。


Youtubeには、字幕がないですが、さまざまなドキュメンタリーなどが無料で見れるので、ここもいろいろと検索してみることをおすすめします。

いくつかわたしが作ったプレイリストのリンクを下に載せますので、ぜひご覧ください。

建築

エンジニアリング

歴史


以前働いていた会社の同僚は、ディズニーの英語教材に60万円(たしか毎月2万円近く)を支払って購入しました。わたしはいろいろと低料金で効果的な手法を模索していたのですが、それを聞いた瞬間、ああ、この人はもうゲームオーバーだなと思い、それ以上、子供の話しはできませんでした。

どうか、このブログを読んでいる人は、そのような高額な商品を購入する前に、お願いですから、ネットなどで十分に情報を調べてみてください。必ず、より低料金で効果的なものが見つかるはずです。



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2015年

4月

30日

日本の未来に対する危機感

今日は、仁藤夢乃「女子高生の裏社会」を読む。

・子供の6人に1人が貧困状態

・高校中退者は年間55、000人

・不登校者は中学校で100、000人以上、高校では55、000人以上

・未成年の自殺は年間500人以上

・10代の人工中絶件数は1日55件以上(年間20、000件以上)

虐待、ネグレクト、いじめ、家族関係、友人関係、性被害などなどが重なっているという。


わたしはいろいろと本を読んで、歴史を学んできたので、ここ最近、急に世の中が悪くなってきたという論調には服しかねるが、それでも、日本の未来を考えると、あまりいい要素が浮かばないのも事実だ。


これまで、妻がいろいろと「早期教育」についてお伝えしてきたが、あまり興味を持った人はいない。しかし、わたしにはそれ以外に、この国の未来を明るくする術が思い当たらないので、非常にもどかしい思いをしている。


しかし、わたしが思うに、この街のほとんどのママは日本の置かれている状況になにも気がついていないのだろう。大学に行って、どこか大きな会社の正社員になれれば、あるいは給料が低くても公務員にでもなれれば、死ぬまで安泰という信仰にどっぷりと浸かっているのだろう。

たしかに、ママたちがあまりに将来に悲観的になってしまうのも、子供たちには悪影響だろう。しかし、現実をしっかり認識しないほうが、将来的には悪影響はまちがいなく大きい。


「早期教育」の必要性を理解してもらうには、途方もなく長い道のりになりそうだ。。。


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2015年

4月

30日

ゴールデンウィーク 一歳児の冒険

まず朝は、児童館の広いスペースで存分に歩行の練習。


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2015年

4月

29日

テレビを見る

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2015年

4月

28日

紙芝居を楽しむ

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2015年

4月

28日

西洋絵画に興味を持つ

NHKで「テレビで外国語」シリーズが放映されている。我が家ではたしか、妻が妊娠してすぐの頃から見始めたので、かれこれ1年半ほどが経っただろうか。

 

見ているうちに言葉だけではなく、それぞれの国の文化を知ることができ、妻も日々ますます楽しくなってきていると言っていたのは、わたしにとっても喜ばしい。

 

今までは、わたしが面白そうな番組を録画して、まず私が見て、妻にも勧められそうなものを見せるということが多かったのだが、このところ妻は、自分でBSのドキュメンタリーを録って、いろいろと見ている。

 

モネやゴッホ、ゴーギャンなど、そして今日はルソーというちょっとマニアックな画家のドキュメンタリーを見ていた。

 

わたしの仕事は比較的、東京の中では忙しくないほうなので、ちょくちょく手伝うようにしているし、わたしの母も協力的なのだが、それでも、うちの娘はママにべったりで、わたしや母が手伝おうにもどうにもならないこともよくある。

もうすぐ13ヶ月になるが、なるほど、授乳期の母親というのはこんなにも大変なのかと、つくづく実感している次第であります。

 

そんな忙しい日々のあいまに、妻が文化的な素養を深めている事実は、わたしにとっては実に喜ばしいことです。またあとで、皿洗いでもしなきゃなぁ。

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2015年

4月

25日

ゴールデンウィーク 近所におでかけ

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2015年

4月

23日

生後12ヶ月 ピアノで遊ぶ

ありがたいことに、無事に娘が一歳の誕生日を迎えることができました。


アベセダリアン・プロジェクトを参考にして、どれくらい0才児に適切な刺激を与えられるか、日々、考えながら暮らしていたのですが、予想通り、かなり難しいことがわかりました。


わたし(父)は仕事で忙しく、母は授乳やその他の家事で手一杯。

アベセダリアンは高い評価を得ていながらも、費用がかかりすぎて現実的ではないという批判があるのは、今ならすごく理解できます。


といって、思考停止してしまっては進化はありえません。

まだまだ、これからいろいろと試行錯誤を続けようと思います。

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2014年

12月

07日

生後7か月

このところ、うちの赤ちゃんは猫や犬を見ると、ほとんど叫び声とでもいうような歓喜の声をあげる。


我が家には犬が一匹(柴犬っぽい雑種)と猫が二匹ゐる。

娘が生まれた時からゐたのだが、生後6か月ごろまでは、犬にも猫にもまったく反応を示さなかった。が、このところ、びっくりするほど反応するので、犬や猫が生き物であるということを認識できるようになり、遊びたがる。猫は迷惑そうに逃げてしまうのだが、それが悲しいのか大声をあげて泣いてしまうこともある。


乳幼児の赤ちゃんに「いい刺激」を与えるという観点から見れば、犬や猫を飼うというのは、とてもいいことのようだ。

まあ、犬も猫も生き物なので、ただ「いい刺激を与えたいから」という理由だけで飼うことはお勧めしないが、あくまで「一例」としてここに紹介した。


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2014年

10月

05日

オーボール他、購入しました

オーボール(左の画像参照)というのは、子供の脳の発育にもいいらしと、たまたまなにかのサイトで読んだのでさっそく購入してみました。

午前中にAmazonで注文したのですが、大雨だというのに、19時ごろに配達されました。

なんという便利な時代なのでしょう。この速さは消費者としてはうれしいのですが、それを実現するために、無数の人間が、大きなストレスと戦いながら、心身を酷使しているだろうと思うと、胸が痛みます。

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2014年

10月

04日

アベセダリアン・プロジェクトの成果について

これまでずっとサボってきた、アベセダリアンの成果についての英訳をやってみました。


January 24, 2012 – 5:34 pm | Posted in Research

2012年1月24日

 

Adults who had participated in a high-quality early childhood education program in the 1970s are still benefiting from those experiences in a variety of ways, according to findings published last week in the journal Developmental Psychology.

先週発行された研究結果によれば、70年代に行われた高水準の早期教育プログラムに参加した者は、大人になった今も、さまざまな形でその経験の恩恵を受けている。

 

According to the latest study of adults at age 30, Abecedarian Project participants had significantly more years of education than peers who were part of a control group.

アベセダリアン・プロジェクトに参加した30歳の大人の最新研究によると、統計の対象となる同じ年齢層の人々に比べて、かなり長く教育を受けている。

 

They were also four times more likely to have earned college degrees; 23 percent of participants graduated from a four-year college or university compared to only 6 percent of the control group.

4年制大学の卒業率は統計対象のグループはわずか6パーセントだったのに対して、彼らはその4倍近くの23パーセントが学位を得た。

 

“When we previously revisited them as young adults at age 21, we found that the children who had received the early educational intervention were more likely to go to college; now we know they were also more likely to make it all the way through and graduate,” Pungello said.

彼らが21歳のときに訪問したときは、早期に教育的干渉を受けた者は、より多く大学へ進学することが分かった。今では、彼らが最後まで乗り切って卒業できたことが分かる。

※訳者注;アメリカの大学は、入学は簡単でも卒業はとても難しいと聞いたことがあるので、その点では、日本の大学を思い浮かべてこれを読むと、この成果のすばらしさを見落とすことになるでしょう。

 

“What’s more, this achievement applied to both boys and girls, an important finding given the current low rate of college graduation for minority males in our country.”

「さらに、アメリカでは少数派の男性は大学卒業率が低いにも関わらず、男子にも女子にも、この成果が現れているのです」

 

Of the 111 infants originally enrolled in the project (98 percent of whom were African-American), 101 took part in the age 30 follow-up.

111人のプロジェクト参加者(98パーセントはアフリカ系アメリカ人)のうち、101人が30歳時点での追跡調査に参加した。

 

“Being able to follow this study sample over so many years has been a privilege,” said Frances Campbell, senior scientist at the institute and lead author of the study. “The randomized design of the study gives us confidence in saying that the benefits we saw at age 30 were associated with an early childhood educational experience.”

「これほど長い期間の研究資料を追跡し続けられることは特権となっています」とこの研究の指導者は語る。

「無作為な教育デザインは、30歳になって見られたさまざまな恩恵は、早期教育を受けた経験と関連しているということについて、わたしたちに自信を与えてくれるのです」

※訳者注;このプロジェクトの子供たちはは0歳から5歳くらいまで、適切な刺激を与えたあとは、公共の教育に進みます。

公共の教育に進んだ後には、直接的に刺激を与えることはなく、継続的な追跡調査だけを行うので、無作為な教育デザイン、ということになるのだとわたしは解釈しています。さまざまな公共教育を受けて、環境や条件のちがうなかで育っても、それでも同様に30歳になった頃にも、いい影響が見られれば、早期教育の効果は大きく、さらに大人になっても続くという証拠になっている、という意味でしょう。

 

 

 

The Abecedarian Project was a carefully controlled scientific study of the potential benefits of early childhood education for children from low-income families who were at risk of developmental delays or academic failure.

 

Participants attended a full-time, year-round child-care facility from infancy until they entered kindergarten. Throughout their early years, the children were provided with educational activities designed to support their language, cognitive, social and emotional development.

 

Follow-up studies have consistently shown that children who received early educational intervention did better academically, culminating in an increased likelihood that they would attain an education.




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2014年

5月

05日

生後およそ25日目 ゴールデンウィーク

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2014年

4月

26日

無事にむすめが産まれました

予定日よりおよそ1か月ほど早く生まれてきました。体重は約2000グラム。小さすぎなので、少し心配しましたが、健康上いまのところ何も問題はないようです。

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2013年

12月

22日

ヨーロッパの失われた世代

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2013年

12月

17日

適切な刺激を与えるということ その2

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2013年

12月

01日

適切な刺激を与えるということ その1

妊娠五か月、妻のおなかが少し大きくなってきた今日この頃。

 

今週末は、私たち夫婦としては久しぶりに、そしてきわめて珍しく、散財して日本社会に貢献してきました。

 

寒いから丈(たけ)の長いコートがほしいというので、それを買い。まあ、これはかなり値引きされていて、ほとんど利益は出てなさそうなくらいでしたが。

 

また、妻は猫アレルギーや花粉症があるのですが、今はクスリを飲めないので、さすがに空気清浄器や加湿器を買うことに。有楽町のビックで散財。

そのあと、ちかくの「MUJI」でゆったりとしたマタニティー用の服を買う。そのとき、家具売り場のあたりに子供が遊べるスペースがあったので、妻がいろいろと悩んでいる間、ふとそこを覗いてみました。

すると、或る一人のお父さんが昆虫の絵本か何かを開きながら、「こおろぎ」とか「きりぎりす」と、2歳くらいの女の子に話しかけていました。女の子はうまく発音できないながらも、いっしょうけんめい、お父さんが言った単語を自分でも言おうとしていたのが、とても可愛らしく、またこれこそ「適切な刺激」だなぁと思いました。

 

20代のころは、わたしは子供が大嫌いで、まさか結婚することなんてないし、出来るわけがないと思っていました。が、運命のいたずらか、今の妻と出会い、非常に幸福な結婚生活を送っています。しかしそれでも、まさか子供スペースでじっくり赤ん坊を観察することになるとは、我ながら少し恥ずかしいですが、人生何があるかわからないと、一人苦笑いしております。

 

こんな未熟者ではありますが、ようやく「子供こそが未来だ」と思えるようになり、今はなんだか、とても心が落ち着いています。

少しずつではありますが、みなさまにお役にたてるような情報を提供していきたいと考えております。どうか、みなさまにも、こうしたらけっこううまくいったよ!などの情報がありましたら、どしどしご意見をお寄せください!!

 

よろしくお願いいたします。

 

適切な刺激を与えるということ その2

 

 

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