もう一つの提案 --コンピュータ

上の画像をクリックすると「遊んで覚える英語 算数 プログラミング

」のサイトへジャンプします!

 

「幸せな家族はどれもみな同じように見えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸のかたちがある」というのは、トルストイ「アンナ・カレーニナ」の冒頭ですが、わたしは以前、成績のかなり悪い生徒ばかりを教える、家庭教師をしていたとき、さまざまな不幸のかたちを目の当たりにしました。

 

親の収入が高いほど、子供の学歴も高くなる」というごくシンプルな方程式は、実際に多くの家庭を訪問してみて、ひしひしと感じられました。

 

学生の頃、わたしは現代の学校教育をひどく憎んでいました。

わたしは35歳になり、妻がもうすぐ子供を産む予定となっている今、考え方は大きく変わり、おおむね7割がた、学歴社会というのは合理的なのだと思うようになりました。「合理的」である、ということは残酷なことでもあるのですが、生命の歴史が始まって以来、世の中は弱肉強食であり、それをいくら嘆いても仕方がありません。

「学歴社会」という大きなシステムの流れそのものを変えようとしても、うまくいかず、意味がありません。が、残りの3割、たとえば先ほど述べたように、「金持ちほどいい大学へ行き、いい会社に入る」という構造が固定化されるのは、やはりあまりに不公平ですし、親の収入以外にも、さまざまな「落ちこぼれる」理由は存在します。

 

中学生や高校生のころに、「こんなことやって、社会のなんの役に立つの?」と教師や親に、怒りをぶつけたことがある人も多いとは思います。35歳になってみて、やっぱり本当に役に立たなかったと断言できる部分も多くあります。

「就職先なく、奨学金が返せない」 弁護士会に寄せられた「苦悩する若者」の声

「いじめ問題に法的なアドバイスを」 学校現場への「弁護士派遣」ひろがる

まあ、先ほど言ったように、それでも「学歴社会」というのは不思議と、合理的に機能しているものなので、それを攻撃するつもりはありません。

 

ただ、わたしがこのようなサイトを作ったのには、収入の低い家庭であっても、工夫次第で、実社会に役に立つ技術や知識を身につければ、成功の機会はいくらでもつくれるのではないだろうかと思ったからです。

 

「アベセダリアン・プロジェクト」の趣旨とは少しちがってきているかもしれませんが、少子高齢化するこの日本社会の未来を考えるうえで、子供たちの能力を伸ばし、実社会でいきいきと活躍してもらう以外に、日本が健全であり続ける方法はないように思われてならないのです。

 

どうか柔軟な思考を以て、子育てに取り組んでいただきたいと思います。